硫黄の匂いが鼻先をくすぐった瞬間、バスの窓を開けた。山の冷気と一緒に、温泉街特有のあの匂いが入り込んでくる。終点までまだ20分あるのに、もう湯の気配がする。
乳頭温泉郷、雪道の先にある湯小屋

秋田の山奥、田沢湖駅からバスで50分。降りた瞬間、足裏に雪のきしみを感じた。気温はマイナス6度。
鶴の湯温泉の入口まで歩く。木の看板が傾いているのは、積もった雪の重みのせいだ。受付で700円を払い、脱衣所へ。板張りの床が冷たい。急いで外へ出ると、乳白色の湯が湯気を立てていた。
露天風呂の底は砂利と岩。足を入れると、熱い湯と冷たい空気が肌の上でぶつかる。周囲は誰もいない。平日の午前中を狙ったのが正解だった。頭の上を雪がちらちらと舞う。
湯上がりに囲炉裏端で山の芋鍋を食べた。味噌仕立て、1200円。体の芯まで温まったところで、次のバスの時間を確認する。
奥鬼怒温泉、片道2時間の山道を歩いて

栃木県の奥鬼怒。車は途中までしか入れない。女夫渕駐車場から先は、自分の足で歩くしかない。
山道の土は湿っていた。落ち葉が重なった道は、足音を吸い込む。沢の音が近づいたり遠のいたりしながら、2時間歩いた。
加仁湯温泉に着いたとき、汗と山の匂いが体に染み付いていた。日帰り入浴は1000円。5種類の源泉があるという。硫黄泉の白い湯に体を沈めると、歩いた疲れが溶けていく。
露天風呂から見上げると、崖の上に木々が茂っている。風が吹くたびに枝が揺れ、木漏れ日が湯面に散った。携帯の電波は届かない。その不便さが、むしろ心地いい。
祖谷温泉、ケーブルカーで谷底へ

四国の山深く、徳島県三好市。祖谷渓の断崖に宿が建っている。ホテル祖谷温泉の露天風呂へは、専用ケーブルカーで170メートル下る。
ケーブルカーの窓から谷底を覗く。高所は好きだ。見晴らしのいい場所は本能的に落ち着く。5分ほどで到着し、渓谷沿いの露天風呂が現れた。
日帰り入浴は1700円と少し高め。でも、この景色の前では文句が出ない。祖谷川の水音を聞きながら、ぬるめの湯に長く浸かった。源泉温度38度、加温なし。夏場なら何時間でもいられる。
帰りに祖谷そばを食べた。つなぎを使わない素朴な蕎麦、800円。出汁の匂いが鼻に残る。
一人秘湯旅の予算とタイミング

秘湯の多くは山奥にある。ベストシーズンは春の新緑期(4〜5月)と秋の紅葉期(10〜11月)。冬は雪深い場所が多く、アクセスに覚悟がいる。ただし、雪見風呂の魅力には抗えない。
予算の目安はこんな感じだ。
【節約】日帰り入浴のみ。入浴料500〜1000円、交通費別。弁当持参で2000円以内。
【ふつう】日帰り入浴+現地で食事。3000〜5000円。
【ちょっと贅沢】一泊二食付き。秘湯の宿は1万5000〜2万5000円が相場。一人泊を受け入れる宿は限られるので、事前確認が必須。
乳頭温泉郷へは田沢湖駅からバス50分。奥鬼怒は鬼怒川温泉駅からバスと徒歩で計3時間。祖谷は大歩危駅からバス35分。いずれも公共交通で行ける。
湯から上がれば、また歩き出す

バス停のベンチで体が冷えるのを待った。湯上がりの肌に山風が当たる。次の行き先はまだ決めていない。
バスが来た。乗り込む前に一度だけ振り返る。湯気がまだ山の向こうに立ち上っていた。にゃ、また来るかもしれない。
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